発散の場

はやくも6月の半ばとなりました。雨に萌ゆる緑が風情を漂わせる季節。だというのに、いまだに自粛生活が続いておりますが、皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

私は、大学の前期の授業がまるっとオンラインになり、対面授業がなくなったため、家で1人寂しく黙々と課題に取り組んでおります。さすがにきついです。

 

本当に毎日が淡々と進んでいく。確実に人と会うのは、週一回2コマだけある塾講師のアルバイトで、生徒と話すくらい。5月の末まではそんな生活がずっと続いていて、インドアな私もさすがに我慢の限界が来ていた。

私は一人暮らしをしているが、幸いにも実家は県内で近く、連休は親が迎えに来てくれたため、帰省することができた。しかし、帰省しても友人には会えないため、課題を消化しながらただひたすら映画とアニメ鑑賞に励んでいたのだ。

では帰省していたときも含めて、自粛期間中、何を観たのか。

と、こんなところだ。優先すべきは課題やゼミのレポートなので、思っていたよりも観られなかった。

実家はAKIRAとか、君の名はとか、他にも色々なアニメ映画のDVDが揃っているので、退屈はしない。さらにいえば、Amazonプライムに登録しているため、見放題にある作品はいくらでも観られる。

パプリカは、前々から観たかった作品だったので、ようやく観られたと素直に嬉しかった。観ているときは食い入っていたが、観終わったときは鳥肌が止まらなかった。ところで、私には小学生の妹がいるが、途中から彼女も私の隣でパプリカを観ていた。トラウマにならないか心配だが、観ているときも終わった後も平気な顔で話していたので、大丈夫だったのか……。

指輪物語を観たことによって、私はなぜかゲド戦記の原作小説を読みたくなってしまった。というか指輪物語を読みたいと思ったが、妹(小学生)に読んでいる途中だと言われ、驚愕しながら諦めたのだ。ファンタジーといえばトールキン指輪物語だが、それと同じくらいの傑作(であると私は思っている)なのは、ル・グウィンゲド戦記だということか。そういうつながりなのか。というわけで、この期間にゲド戦記を全巻読破した(3回目)。ちなみに、ジブリ映画のゲド戦記は観たことがない。 

ホビットも同様、トールキンの名作であるが、これも原作を読みたくなってしまった。実家に帰らないと読めないのだ。悔しい。

風の谷のナウシカは、映画そのものも、キャラクターも、アニメーションも、音楽も、そして原作の漫画も全てが好きなので、数え切れないくらい観た。去年の夏休みに、ヴィレバンでポストカード付き全巻セットのBOXを衝動買いし、寝る暇も惜しんで読んだのだが、ここに来てまた全巻読破せよとの指令が下っている。

 

そして問題のBANANA FISHである。

これは、前々から高校の友人に薦められていたが、時間がないと理由をつけて見ていなかったアニメである。女性向け漫画が原作で、ブロマンスの空気が漂っているが、果たしてその正体はドラッグとギャングとマフィアの話である。時間があるから見てみようと軽率に手を出したこと、私はかなり反省した。後悔はしていない。何しろ、最初から救いがない。光が見えない。中盤にきてさらに心をえぐる。このとき、私はまだ半分しか終わっていないことを知って絶望した。「まだ落とすのか」と。そして垣間見える幸せな未来、だがそれは決して訪れない。鑑賞を終えて最初に出た感想は、「どうして………」だった。まるで電話猫のよう。立ち直れない。ボロボロに泣いて、薦めてくれた友人との電話でマシンガンのように感想を投げつけた。とても良い作品であると同時に、立ち直れない絶望に落とされる。友人曰く、「精神的に安定している状態で」鑑賞してもらいたい。

 

どろろについては、最近観ているのだが、実は3回目の視聴である。2019年の冬と春に放送されたのだが、これもとにかく心臓を抉り取っていく。そもそも脚本が良くない(褒)。手塚治虫の原作は、ラストはほぼ打ち切りのような状態で、尻切れトンボである。その未完の作品をどうやって2クールのアニメに落とし込んでいくのか、リアルタイムで観ていた時はそこにずっと注目していた。主要キャラの過去の話もうまく織り交ぜ、ただ一つ作画が問題の回はあったものの、最後主人公が身体を全て取り戻すまでかなりうまくまとまった作品である。今、このブログを書いている時点では8話まで観ている。このアニメの一つ目の山場は5、6話で、そこを耐え抜いて一応救われた状態だが、ここからまた何度も落とされる。それを楽しみに視聴を続けていこう。

 

おそらく、この自粛生活で溜まった鬱憤を発散したいがために、絶望の淵に陥れてくるようなアニメばかり見てしまうのだろう。

好きなシリーズ小説の新刊が延期されて、クライマックスの目撃を先延ばしにされた。そのシリーズ小説も、今まさに絶望の只中にいる。はやく決着をつけてほしいが、さてどうなるか。

 

大学の友人たちと共に、お題に合わせて創作をするということにハマっている。ある人は絵を描いたり、ある人は写真を撮ったり、はたまた曲を作ったり。私は、主に文章での創作をする。

お題に合わせて創作するとは言っても、どのように料理するかは人によって全く違う。私の場合、どんなに平和そうなお題でも、どんなに幸せそうなお題でも、気づいたら暗くどんよりとした雰囲気の漂う作品が目の前に生まれている。何をどうしても、最終的に登場人物が絶望して、あるいは命を落として終わる。全てその限りではないが、大半がそうだ。

「キャラクターが勝手に動く」とはよく言ったもので、本当に私が好きで鬱小説を書いているわけではない。どう考えても奴らが勝手にその方向に進んでいるだけの話だ(ひどい言いがかり)。

しかしまあ、不思議なもので、私はただのハッピーエンドにはあまり心動かされないのである。バッドエンドしか読まない、見ないというわけではない。むしろハッピーエンドは素晴らしい。だって少なくとも主人公は幸せになれるから。

「少なくとも主人公は」

ということは、他の誰かは見えないところでバッドエンドになっているはずだ。

大団円なんてない。1人の幸せは、他の誰か1人の不幸の上に立つ。

この考え方があるから、単純なハッピーエンドは書けないのかと、最近気づいた。

メリーバッドエンドというものもある。ハッピーエンド、バッドエンドのどちらでも成り立つ終わり方。私が好きなのはこれだ。

すでに話に出てきたBANANA FISHは、ハッピーエンドではない。しかし、私はあのラストがバッドエンドであると、どうしても思えない。彼にとっては幸せな最後だが、もう1人の彼にとっては世界で一番不幸な終わり方だろう。彼がいなくなった世界で、もう1人の彼は何を思うだろうか。

どろろの何が良いかって、原作が未完ということである。2人の別れのシーンで終わり、彼の行方を知る者はいない。身体を全て取り戻すことなく、作品の幕が下りた。彼らに幸せな未来は訪れるのか。彼女はこの先どう生きていくのか。

 

あ〜〜〜〜〜こういうのが好きです。断言します。

こういうのが好きです。

厳密にいえば、バナナフィッシュは後日譚があるんですが、一応アニメだとそこで終わっているので、そういうことにしておいてください。

受け取り方を読者、視聴者に委ねる。果たしてこれはハッピーエンドなのか、それとも……と考えさせる。とても文学ですね(?)。

 

まとめると、私は単純な物語のラストを好まない、という話だ。

自粛期間でたまった鬱憤をどこかで発散したいという思いで、ほとんど勢いだけでここまで書いた。書いているうちに話の方向性が決まった。たまにはこういうのも良いだろう。

とにかく今は、1日でもはやく収束することを願って、どろろを最終話まで視聴し、次の作品に手を出したいところである。

 

 

Белочка 栗鼠